初詣と音楽と愛について(大げさ)

病原菌を保有したままの相方と初詣に梅田の外れにあるお初天神へ。なんでこんな所に、というコンパの名所的な場所にあるこの神社だけれど。本当の名前は露天神社曽根崎心中の舞台となったことで有名なところなのだ。お初さんの名前を取って「お初天神」、なるほどねー、である。なぜにこんなこと知っているかと言うと、昔、こちらで巫女さんのアルバイトでお世話になったことがありまして。懐かしい。花も恥らう頃だった(遠い目)。

今年一年の自分の幸せを祈った後、そのままお茶したりして。このまま結婚とかしたりするのかなーとかボーっと話を聞いているようで聞かずに考えていた。結婚て何なんだ。とか考えている時点で違うのか。訳わかんない内に勢いで結婚しとけばよかったのかなぁとか、今更ながら思う。でもまぁ「あの人としておいたらよかった」と、悔やむほどの恋愛もなかったし、仕方ないのか。と言うよりそもそも結婚に向いていない気がする。子供も取り立てて欲しいと思わないし。結局人として未熟なままなので、他人を自分以上に愛せないだけなのだろうか。「嫌われる前に嫌いになる」を地で生きてきたようなところがあるからなぁ。ちっさいなぁ。そのくせ動物にかける愛情は異常なほどで。裏切られない(というか一方通行よな)という安心感があるのか。・・・と、自分のことを考えるといつも暗い気持ちになってしまう。でも、ここんとこをクリアーにしない限り、私は幸せにはなれない気がする。彼も。私がライブに足しげく通ってみたり、音楽聴いてみたりするのは、きっと現実逃避なんだな。わかってる。何かが欲しいんだけど、それがはっきりしないから、はっきりしないものをくれる(というか勝手に貰った気になれる)ライブへ行って感情を揺さぶられたいだけなんだ、きっと。と思うと、音楽に傾倒することは私の場合とってもネガティブな行為でしかないような気さえする。新年早々なんなんだこの話題。


オカマ声も治っていなかったので、早々にお別れする。お大事に。


君が大切だ。君が今、私から去ってしまったら、きっと私は深い悲しみの中に突き落とされるだろう。でも、きっと引き止めることもできなければ、君の前で泣くこともできないのだろうと思う。傷ついている自分を、「傷ついています」と表現できないのだ。そして、一人で人知れず涙を流すのだ。風呂場は泣くための場所じゃない。バカめ。


えぇい、この頭でっかちめ!風呂入ってへぇこいて寝る。