バンプとか友達とか氣志團とか

今更ながらバンプユグドラシルを聞いている。アジカンフジファブリックなどと並び、『若い子の歌』だと、何となく手が伸びなかったのだけど、何て勿体無いことしていたんだろうと思った。声がいい。詞や曲にしてもこれ以前の作品を全く知らないので、逆に素直に聞けてよかったのかも。「そういうやり方あったなぁ」と思えるような、自分を取り囲む色々なものを自分なりに昇華して腹に落としていくやり方とかが、ちょっと振り返って己を見ている感じのするアルバムだった。まぁ藤原君のようにステキな言葉で紡ぐ力は私には当然無かったんだけども。とか書いてると、凄い年離れてるみたいなんだけど、藤原君は弟と同じ年だった。まぁ微妙なとこか。繊細さと力強さが同居する、でもやっぱり全体的に切なくて、広がりがあって。声も曲も詞も。暫らくこれしか聞かないんだろうな。前髪もうちょっと切ったらイイのにね。あー、25、6くらいの男子囲って育ててみたい。←台無し  いやそれくらいなんかいとおしいという感情をかき立てるような作品だったと。無理があるか。

一時、仕事の忙しさを理由に音楽から遠のいていた時期があって。音楽は完全にカラオケで困らない程度に新しいものを取り入れていればいい、くらいのスタンスで、その詞や旋律よりも歌い易さが選択基準になっていた。何も受け止める用意は私にはできていなかったなぁ。必要とも思っていなかった。今はニュートラルな状態で新しい音楽と出会うことができて楽しい。それは音楽だけではなくて、映画や本や人との出会いもそうなんだけど。

昨日は20日奥田民生を見に行く友達にチケを渡すために会った。お互いギリで走りこみそうな予感がしたので。仕事の途中で抜け出してもらったのに、お茶しながら人生についてというより男関係について語り合ってたらヒートアップして鞄だけ取りに帰ってそのまま夜飯に突入。ペルー料理は嫌いなカレー臭がたっぷりで、もう2度と口にすることはないだろう。知らなかったよ、カレー使うなんて・・・。一期一会。
そんな彼女は食事の間中JRの事故と85年の日航機墜落事故について熱く語っていた。JRは私達の使っている線で、彼女は思っていた以上に衝撃を受けたようで、それを消化するのにどういうわけか御巣鷹山のあの事故を調べることが必要だったようだ。わかるような気もする。あまりに生々しい話にすっかり消耗してしまい、そのまま帰るのもアレなのでカフェでほっこり和んで帰った。そのカフェは週に1回英会話のレッスンをしていて、その先生につかまった。10年日本に住んでいるのに日本語が全くわからないそうな。どうなんだそれ。おかげで友達とゆっくり話せなかったけど、まぁ楽しかった。

氣志團の新曲については・・・何も語りますまい。っていうか今の段階で語ったらネガティブな発言になってしまうのでPV見るまでは曲に関しては考えないようにすると心に決めた。
ブログも続々更新で。えっと、スミスさんって私の中では『50代の男性』でした。お若いのね。ビツクリ。私は一時、『氣志團ちゃんブログは翔やんが各メンバーになりきって全て書いているのではないか』と疑っていた時期があったけれど、松君の回のあまりのオチのない文章に、『ないな。』と確信した。翔やんならどうやってももうちょっと面白い文章になってしまうと思ったので。そもそも「オチをつける」という概念がないのか。っていうか普通オチなんていらないのか。でもGIG中の話し言葉そのまんまな言い回しで微笑ましくはある。フットサルのレポをいろんなところで見るけれど・・・緑組はいないのですか。当たり前だけどみんな自分の好きな色をガン見するわけで、そうなると自然にその色のレポになるわけで。よーくわかった、翔やんが何してたかはよーくわかったよ!松は、松坊はどうしてたんだ?・・・どうも色々な方の証言を統括すると「特に言及する程活躍していなかった」ということになるようで。いっそチアでもしていて欲しかった。ポニーテールで。ひげのポニーテールで、ええ。